明治~昭和初期の電話! 電話交換手は、女性の憧れ職業だった!

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八十年位前は、電話は特別な人のものでした。
もちろん固定電話です。
私たち普通の者が電話を掛けるなどめったにありませんでした。

なくとも、不自由はありませんでしたが、急を要するとき、大体は電報を打つのですが、細かい打ち合わせには電話が便利です。

どうするか。
一番近くで電話を持っている人の家に行き、借ります。
別に遠慮はいりませんでした。
何故か分かりませんが、当時はそれが当たり前の世の中でした。

「電話を貸してください」と言うと、誰もが「どうぞ」といいます。
電話を持っている所は、会社とか工場です。
個人の家ではめったにありませんでした。

大きな木の箱型の電話器の前に立ち、箱の左横についている受話器をとります。
次に右側についている、ハンドルをぐるぐるとまわします。

電話交換手から「もしもし」と声がすると、相手の番号を伝えます。相手が遠距離になるほど、つながるまで時間がかかるのです。待たせてもらいます。

「もしもし」は、{申します申します}が短縮された言葉なのです。

やがて電話がかかると、事務員さんが出て、交換手に確認し、「どうぞ」と呼んでくれます。
話が終わり、受話器を戻すと、すぐ、電話がかかり、事務の人に「何分で○○円(銭)です」と交換手から伝わり、金額を支払います。

借りるだけではありません。
電話の持ち主から、「○○様からお電話がかかっていますよ」と呼び出されることもありました。
ニコニコと、当然のように知らせてくれました。

スマホの現在からは想像も出来ない昔の電話事情と寛大な人間関係を、懐かしく思い出します。

ーーーーおばあさんの手記はここまでーーーー

 

 

昔の電話の借り方と使い方!

 

昔は、電話番番号が3ケタくらいでした。

電話も持っている人は、そのまま受話器を取って、電話交換手に相手の番号を伝えて、つながると話をします。

他家から、借りに来た方は、ちょっと使い方が違うのです。
受話器も持って、最初に100番に繋げてもらい、そこで電話交換手にしての電話番号を伝えます。

この100番とは、通話料金を知らせてくれる所なのです。
そうしないと、電話料金が持ち主の方の料金として請求されてしまいます。
通話料金を支払うために、100番にかけて通話時間と料金を記録してもらう必要があったのです。

この電話交換手の仕事は、女性の憧れであり、花形職業でした。

昔の電話交換手の仕事風景 画像提供元:カミアプappps.jp

昔の電話機のご紹介!

黒電話は、一般家庭にも普及しました。

通話が終わり、相手が受話器を置き損ねていると、こちらの次の電話がつながらないなんてことも起きる電話機でした。

何度次の電話番号をかけても、最初の人につながってしまいます。

回線が切れなかったんですね。

 

ダイヤル式の黒電話から、プッシュフォンが出た時、色は緑と白が多くありました。

なかでも、アイボリーは人気機種でした。

昔の公衆電話もダイヤル式でした。

市内なら、10円玉を入れて3分間お話が出来ました。

公衆電話機の中の10円玉が、大量に貯まっても電話局の人が回収しないと、

10円で通話した後に、おつり窓口に200円分くらい10円玉が出てくるなんてこともありました。

電話局に連絡して、回収に来てもらうのです。

 

 

電話機も進化してきていますね。
今の携帯電話も、また進化し続けています。


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