心が重たい夜に、月に預けるという選択

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心が重たいと感じる夜があります。
理由を探そうとしても、これといった原因は見つからない。
何か大きな出来事があったわけでもなく、誰かと衝突したわけでもない。
それでも胸の奥に、静かな重さだけが残っている。

そんなとき、人はつい「考えよう」とします。
何がいけなかったのか。
どうすれば軽くなるのか。
次はどう動けばいいのか。

けれど、心が重たい夜に必要なのは、答えではないのかもしれません。


■ 重たさには、理由がないことがある

感情には、理由があるものと、ないものがあります。
理由がある感情は、言葉にできます。
理由がない感情は、言葉の外側にあります。

月の庭に訪れる人の多くは、後者の感情を抱えています。

説明できない疲れ。
意味のない不安。
理由のない寂しさ。
誰にも向いていないのに、胸に溜まる重さ。

それらは「問題」ではありません。
ただ、無意識が疲れているサインです。

無意識は、長い時間をかけて、たくさんのものを受け取っています。
人の感情、場の空気、言葉にされなかった期待。
気づかれないまま、少しずつ、少しずつ。

ある夜、ふとその重さが表に浮かぶ。
それだけのことなのです。


■ 月は、整えようとしない

月は、何も解決しません。
慰めもしません。
励ましもしません。

ただ、そこにあります。

満ちるときは満ち、
欠けるときは欠ける。
雲に隠れる日もあれば、冴え冴えと照らす夜もある。

月は、状態を良くしようとしない存在です。
だからこそ、無意識は月の前で緊張を解きます。

「こうでなければならない」
「元気にならなければならない」
「前向きでいなければならない」

そうした力みが、月の光の下では意味を持たなくなる。

月の庭は、
良くならなくていい場所として開かれています。


■ 重たい心を、下ろしていい場所

心が重たいとき、
人は無意識に「持ち上げよう」とします。

明るく考えよう。
感謝しよう。
波動を上げよう。
ポジティブに切り替えよう。

それらは間違いではありません。
ただ、重たい心にとっては、さらに負荷になることもあります。

月の庭では、逆のことをします。

持ち上げない。
整えない。
変えようとしない。

重たいまま、そこに置く。

重さを感じることは、弱さではありません。
それは、無意識が正直である証です。


■ 無意識は、安心すると勝手に動き出す

癒しは、するものではありません。
起こすものでもありません。

癒しは、
安心した無意識が、勝手に始める調整です。

安全だと感じたとき。
評価されていないと体が知ったとき。
何も求められていないとわかったとき。

その瞬間、無意識は深呼吸をします。

月の庭の文章は、
何かを教えるために書かれていません。
変えるために書かれていません。

ただ、
「ここでは、何もしなくていい」
という合図として、置かれています。


■ ホッとするという、小さな変化

ホッとする、という感覚はとても小さなものです。
劇的な変化は起きません。
悩みが消えるわけでもありません。

けれど、
肩の力が一段階抜ける。
呼吸が少し深くなる。
胸の奥の圧が、ほんの少しゆるむ。

それだけで、無意識は十分です。

月の庭では、
その「ほんの少し」を大切にしています。


■ 今夜は、月に預けてみる

もし今、
心が重たいと感じているなら。

原因を探さなくていい。
意味をつけなくていい。
前向きにならなくていい。

ただ、
月に預けてみてください。

重たいまま。
整っていないまま。
途中のまま。

月は、それを拒みません。


■ 月の庭は、戻る場所

月の庭は、頑張るための場所ではありません。
成長するための場所でもありません。

ここは、
戻るための場所です。

思考より前の自分へ。
役割より前の自分へ。
説明する必要のない自分へ。

心が重たい夜に、
ホッとできる場所が一つある。

それだけで、人はまた歩き出せます。

今夜は、ここで少し休んでいってください。
月は、ちゃんとそこにいます。