考えすぎてしまう日があります。
何かを決めなければならないわけでもないのに、
頭の中だけが、ずっと忙しい。
過去のやりとりを思い返したり、
言わなくてよかった一言を反芻したり、
まだ起きていない未来を何度もシミュレーションしたり。
身体は止まっているのに、
思考だけが、休み方を忘れている。
そんなとき、人は「止めよう」とします。
考えないようにしよう。
気にしないようにしよう。
別のことに集中しよう。
けれど、思考は力で止めると、
かえって強くなります。

■ 思考は、悪者ではない
風の庭では、
思考を敵にしません。
考えすぎるのは、弱さではありません。
それは、敏感さであり、誠実さであり、
これまで多くのことを感じ取ってきた証でもあります。
ただ、思考には役割の終わる時間が必要です。
眠る時間が必要なように、
感じる前に立ち止まる時間が必要なように。
考え続けること自体が問題なのではなく、
降りる場所がないことが、疲れを生みます。
■ 風は、切ろうとしない
風は、絡まったものを
無理にほどこうとしません。
引きちぎらず、
説明せず、
正しさを示さず。
ただ、通り抜けていきます。
思考も同じです。
一つひとつ理解しようとしなくていい。
全部を整理しなくていい。
風の庭では、
考えたまま、流すことを許します。
■ 手放す、というより「離れていく」
「手放す」という言葉は、
ときどき意志の力を要求します。
手放さなければならない。
執着を切らなければならない。
それもまた、頑張りです。
風の庭で起きているのは、
もっと自然なこと。
風が吹いたら、
軽いものから、自然に離れていく。
離れていくことに、
決断はいりません。
■ 境界が薄い人ほど、風が必要になる
人に会うと疲れる。
場の空気に影響されやすい。
言葉の裏を感じ取ってしまう。
そんな人は、
心が弱いのではありません。
境界がやわらかいだけです。
境界がやわらかい人は、
多くを受け取り、
多くを内側に溜め込みます。
風は、その境界を
一時的に整えてくれます。
守るためではなく、
軽くするために。
■ 思考がほどける瞬間
風の庭で大切にしているのは、
「気づき」ではありません。
ふと、
頭の中が静かになる瞬間。
理由はわからないけれど、
息が深く入る瞬間。
その一瞬に、
無意識はちゃんと反応しています。
変わった、と言えるほどの変化はなくても、
戻り始めているというサインです。
■ 風は、通り道でいい
風は、留まりません。
形を持ちません。
所有できません。
だから、
風の庭も、居場所というより
通り道です。
月の庭で預けた重さが、
ここで少し乾き、
軽くなり、
次の場所へ運ばれていく。
■ 今は、考えなくていい
もし今、
頭が休まらないと感じているなら。
止めなくていい。
整えなくていい。
理解しなくていい。
ただ、
風が通る余白を、少しだけ。
カーテンが揺れるのを見る。
窓の隙間から入る空気を感じる。
音が遠ざかるのを待つ。
それだけで、
思考は勝手に役割を終えていきます。
■ 風の庭から、また歩き出す
風の庭は、
答えを持っていません。
けれど、
軽さは残ります。
少し静かになった頭で、
また必要な思考は、自然に戻ってきます。
考えるために、
休む。
風の庭は、
そのための場所です。