なぜか、涙が出そうになるときがあります。
悲しい出来事があったわけではない。
つらいことを思い出したわけでもない。
それでも、胸の奥がじんわりと熱を持ち、
目の奥が、ゆるんでいく。
そんなとき、人は戸惑います。
どうしてだろう。
何かあっただろうか。
疲れているのだろうか。
けれど、その涙は、
理由を探さなくてもいい種類のものかもしれません。

■ 感情は、整えなくていい
私たちは、感情を「扱うもの」だと教えられてきました。
コントロールする。
落ち着かせる。
ポジティブに変換する。
けれど水の庭では、
感情を整えようとはしません。
感情は、水にとてもよく似ています。
形を持たず、
流れ、
溜まり、
そして、あふれる。
あふれることは、失敗ではありません。
それは、自然な動きです。
■ 涙は、回復のはじまり
涙は、弱さの象徴ではありません。
むしろ、無意識が「安全」を感じたときにだけ起こる反応です。
緊張がほどけたとき。
がんばらなくていいと身体が知ったとき。
もう守らなくていいと感じたとき。
そのとき初めて、
涙は静かに浮かび上がってきます。
つまり涙は、
回復が始まった合図でもあります。
■ 水は、止めない
水は、止めると濁ります。
流れていると、自然に澄んでいきます。
感情も同じです。
出てきたものを止めず、
意味をつけず、
評価せず、
ただ、流す。
水の庭は、
その流れを邪魔しないための場所です。
■ 安心は、身体から先に来る
「安心しよう」と思っても、
なかなか安心できないことがあります。
それは、安心が
思考ではなく、身体から始まるものだからです。
呼吸が少し深くなる。
肩の力が抜ける。
胸の奥がやわらぐ。
その変化のあとで、
心はやっと安心を理解します。
水の庭の文章は、
この身体の変化を先に起こすために置かれています。
■ 涙が出そうなときは、正しい状態
もし今、涙が出そうなら。
それは、どこかが壊れているのではなく、
どこかが戻り始めている状態です。
ずっと張りつめていたものが、
少しゆるみ始めている。
だから、目の奥が熱くなる。
そのままで、いいのです。
■ 水にまかせるということ
水にまかせる、とは
何もしないことではありません。
抵抗しない、ということです。
出てくる感情を、
そのまま通す。
泣きたいときは、泣いていい。
ぼんやりするときは、そのままでいい。
水は、必要なだけ流れたあと、
自然に静かになります。
■ 回復は、とても静かに起きている
劇的な変化はありません。
悩みが消えるわけでもありません。
けれど、
胸の奥の圧が少しゆるみ、
呼吸がやわらぎ、
身体の内側に、余白が戻ってくる。
それが、水の庭で起きている回復です。
■ ここでは、泣いてもいい
誰かの前では我慢してしまう涙も、
ここでは、こらえなくていい。
水の庭は、
感情がそのまま通っていくことを許す場所です。
涙は、流れる水と同じです。
出ていったあと、
内側は少しだけ軽くなっています。
■ 水の庭から、また静かに
月に預け、
風にほどき、
そして水に流す。
そうして、無意識は自然に整っていきます。
頑張らなくても、
治そうとしなくても、
癒そうとしなくても。
水は、ちゃんと必要なだけ流れます。
今はただ、
その流れに、身をゆだねてみてください