仏教では「功徳を積むように」と言われることが多いですが、功徳と何であるか、どうして積むのか?功徳の内容は具体的にどのようなことか?そして何が変わるのかをまとめてみました。
功徳とは?
「世のため人の為になる善行をする事」といいますが、具体的に分かりづらいという人が多くいます。
人は生きるために、善行の繰り返しをして生活しています。
食べるために食材を買う事も善行のひとつです。
なぜなら、購入することで、お店や生産者を助けています。
働くこともそうなります。
人の為になる何かを生み出しているのです。
税金を納めることも、社会的・福祉的に功徳になります。
それなら自分もやっているから、それだけで十分ではないか?と思われがちですが、
生活すするために必要不可欠なことと、それ以上のことでどれだけ人を思い役立てる何かをする気持ちがあるかです。
金額ではないのです。
日曜日に公園の掃除を自主的に行う事も、功徳の一環です。
バイト料は入らないかもしれませんが、人のために役立っています。
功徳を積む意味は?
功徳とは、唯一天国に持って行けるものです。
人は死ぬと、何も持っていけません。お金も食料も思い出すら持っていけないと言います。
しかし、功徳は天国まで持っていく事ができるものとして仏教では伝えられています。
功徳の量によって、自分の霊性を判断する材料になるからなのだそうです。
人として生まれて、何かを学んできたのか?ではなく、人を思いやる心を高めてくることができたのかという意味になってきます。
人々に、自分の愛と光を与えることのできる霊性に成長したかどうかが問われていきます。
それが生まれてきた理由からなのでしょうか?
功徳を積む意味は、自分の霊性を高め、少しでも高みに行けることを示唆しています。
これは、どの宗教でも、スピリチュアルでも同じような意味が掲げられています。
功徳を積まないとどうなるのか?
功徳を積まないとどうなるのか?という意見も多くみられます。
功徳を積まなかったら、再度人生のやり直しをするだけのことです。
人生のやり直しとは、生まれ変わり、もう一度「無償の愛」について学んでくるという意味です。
生まれ変わった人生でも、同じような苦しい苦行を強いられることになります。
自分が理解できるまで、人に愛を施せる人になるまで繰り返すと言います。
しかし、生きている時でも、功徳を積まないとしっかりとツケが回ってきます。
どんなに、日頃まじめで人に迷惑をかけないように生活していても理不尽なことで苦しめられます。
こんなことを言う人もいます。
「人お為になるお金を使わないと、人の為になるお金が出ていく羽目になる」
このお金とは、交通反則切符罰則金であったり、人に騙されたり、お金を落としたり、納得のいかない出費がでてきて、苦しむことになるという人もいます。
稼いだお金を自分のためだけに使っている人、人をだまして儲けたお金、支払うべき金額を無視して迷惑をかけた人なども、生きている間にそのツケを払わされ、さらには生まれ変わっても自分が同じ目にあうなどしてそのカルマを摘み取る事になります。
功徳は貯金通帳の様な物!
功徳は、貯めればたくさん貯まりますが、悪行を働いたり、人の為になる事をしないでいると減っていきます。
ある程度貯まると、生きている時でも恩恵があり、マイナスになってくると功徳を積むために強制的にお金出ていく羽目になったり、怪我をして働けなくなったりするといいます。
日頃から、人に愛を与える人生を送ってみましょう。それは、難しい事ではなく、相手を思いやる心です。そして、「情けは人のためならず」なのです。